動く尖閣諸島
長年、尖閣問題や日中問題に関わってきたが、尖閣問題の歴史的、政治的な動きや理解、また、視点と相違点、そして世界の情勢を考慮し、解決への道筋を考えることは重労働であり、また、過激なスポーツトレーニングでもある。
しかし、その甲斐もあって、日中双方の落ち度や、新たな穴も見えるようになってきた。
ひとつ、紹介してみたい。
一方の日本は、1895年の国際法に乗っ取った領有をし、また、戦後のサンフランシスコ講和条約に従い、1945年から1972年まで米国の施政下あったものを、沖縄返還時に日本の施政下にもどったと言うものだ。尖閣諸島は沖縄の一部であり、日本固有の領土としている。
日本が尖閣諸島を固有の領土というには歴史が浅過ぎるし、中国が台湾の一部とするならば、サンフランシスコ講和条約時に、米国の施政下に入れずに、返還請求をすべきであった。
このように、尖閣諸島は、日中、日米、そして米中と、それぞれ処理を怠り中途半端な状態に置き去りにしたのである。