チャイナロビー

マクロ経済、環境調査、政策提言、産業誘致、事業創出まで幅広い事業をこなす奮闘記です。

日中間における尖閣の歴史


分かりやすく箇条書きにしました。

1.1885年 国有化の陳情により尖閣諸島の調査を行う。井上外相と山縣内相は、島に中国名があること、日本が尖閣諸島及び台湾を搾取する動きがあると新聞などで警告していたため見送ることになる。

2.1895年 日清戦争終結直前、時期が来たと判断し国有化を行う。

国有化にあたり、中国(清)への申し出も内外への告知もないため、中国は国有化を知らずにいた。

3.また同年四月に下関条約により台湾を割譲させる。

この時点で中国は尖閣に対し何も言えなくなる。

つまり、戦勝国の力学で尖閣及び台湾を手に入れた事となる。

4.1945年 尖閣諸島及び沖縄諸島は米国の施政下となる。

台湾は中国(中華民国)に返還されたが、米国は尖閣を沖縄とともに施政下に入れた。中国は尖閣諸島を台湾の一部だと返還を求めたが、かなえられなかった。

5.1972年 ニクソン訪中。

田中総理・周恩来会談で尖閣棚上げ

6.1978年 日中平和条約締結
鄧小平は講演で尖閣棚上げに言及


7.中国の主張について

中国の尖閣領有に関する主張の機会は、戦争と米国の存在により、1972年まで訪れないことになる。

日本政府は、中国は長年主張せず、資源欲しさに主張し始めたとするが、それは間違いとなる。