チャイナロビー

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対日新思考をご存知だろうか?

  人民日報の論説員(当時)であった馬立誠が、政策論議で知られる中国のオピニオン誌『戦略と管理』(2002年6号)の中で発表した論文「対日関係の新思考-中日民間の憂い」の事だ。

当時、日中国交正常化から30年が経過したにも関わらず、両国の信頼が進まないことを憂いたものだ。

当時の中国総書記胡錦濤氏は、これを取り上げ、反日派を抑え、日本との協調路線に進んだが、日本の外交姿勢に積極性がなく、国民世論にも反映されず、空振りに終わってしまった。


その文章の要点は下記の通りである。
(抜粋のため順不同)


中国の経済成長と近代化のためには安定した国際環境と国際関係を作る必要 がある。

一方的な対日批判では建設的な結果は生まれず、それは中国自 身の外交戦略と国益から見ても得策ではない。

日本に対する固定観念を脱して日本との協力を深めるべき。

さらに、国土が小さく資源の乏しい日本が世界第二位の経済的地位にあるのは、アジアの誇りと言える。

日本は民主・法治体制を確立しており『軍部』が専横する状況にはない。

対日関係では古い観 念を捨て新しい思考を始めることが重要である。  

中国は戦勝国であり大国であるという度量を持たねばならず、 日本に厳し過ぎてはならない。   

中国への侵略戦争について、小泉首相は盧溝橋を訪れ、犠牲者に対する哀悼の意を表明した。

日本の謝罪問題は解決しており、形式にこだわる必要はない。

日本は低利の円借款で誠意を表明しており、われわれは十分紹介してこなかったが、いまは正確に評価すべきである。   

日本が政治・軍事大国を目指し、例えば平和維持活動のために軍隊を派遣しても騒ぎ立てる 必要はない。

新たな競合の場は経済と市場であり、両国民は狭い観念を克服して一体化に向け て進むべきである。

戦後の経済成長によって、日本はすでに安定した穏健な民主国家である。    

『民族の裏切り者』などという最近よく見られる論調は狭隘な民族主義の発露だ。    

歴史問題を日中関係の核心とすべきではない。    

法の観点から見れば、日本が発動した戦争についての責任問題は解決済である。  

日本は、これに応えるべきであろう。今からでも遅くはない。

日米地位協定と沖縄問題

 日本国憲法については学校でも教えるが、日米安保条約の詳細や日米地位協定を学校で教えることは
ない。高校でも大学でも専門に教える授業はない。

法学部の私ですら、憲法の中身、歴史的背景、評価、現在社会どの乖離、9条問題についてレクチャーされたことはない。一般の方はなおさらだろう。

日米安保について憲法の授業で触れるにしても、それは腫れ物に触れるかのように扱われる。

これが、日本の教育の現状であり、いかに日本人は知識不足なのか分かって頂けるはずだ。

 属国であるということは、すなわち「不平等条約を背負わされていること」であるということが『日米地位協定入門』を読むとよく分かる。一度読んで欲しい。

さて、戦後68年経ち、世界の情勢は戦後当時から大きく変わった。
仮想敵国も軍事戦略も変わり、今後は更に異なる枠組みに発展すべきである。

しかし、日本は全く変わらなかった。日米地位協定、沖縄駐留は当時のままで、一向に進展することはない。
日本政府と外務省がいかに怠慢であったか、今更ながら呆れるほどだ。

中国との関係も然りで、新しい枠組みを提唱し中国と手を組み、東アジアの軍事同盟、日中安保に向け、不要な米軍基地を削減しようものなら、米国は潰しにかかるはずだ。

過去、何人の総理が犠牲になったのか想像できるが、官僚機構がこれに対抗できないのは何故だろうか?

米国を敵に回す必要はないが、日本は東アジア共同体構想で中国を利用し、特に沖縄問題を中心に米国との関係性を良い意味で見直すべきだと思うのだが。

日本は広く長い視野を持つべし!

日本人は古くから、珍しさに興味を持つ以外は、異質なものに接し融合する機会が少なかった。

異なる文化、宗教、習慣を理解し、違いを認めることが苦手な民族である。

リベラルが根付かず、世論迎合つまり常に世間体に左右され、自ら立論し議論することを避ける傾向にある。

尖閣問題を例にあげよう。

過去、数百人に質問してきたが、ほとんどの人は、尖閣諸島の歴史、政治的背景を知らない。

日本固有の領土だと初めは口にするのだが、それは外務省が表明しているからだと言う。

客観的な説明をすると、初めて聞いたと驚く人が大半だ。

そして、関係改善の方策を聞くと、口を閉じてしまう。

政治家も同様である。

今まで100人以上にアプローチしてきたのだが、関係改善努力は必要としながらも、半分が勉強する、参考にすると言うだけで、何のアクションも起こさない。

誰かがやるだろう、自分はその器ではないと考えるのか、全く他人事なのである。

反中国の代議士と話しても、裏付けは全く稚拙なものであった。誰もが見れるネットに転がっている情報が論拠でしかない。もちろん、関係改善に向けた方策など考えるよしもない。

資源がない日本は、新しい世界平和の秩序作りや紛争解決のため、一段上に立ち、広く長い視野を持ち、世界の様々な相違点を理解し、世界から信頼され頼られる国にならなければならないと、私は強く思う。

そのための防衛力配備と憲法改正なら賛成だが、今更、無意味な集団的自衛権に賛同するネット世論は理解できない。もっとも、聞かれたから賛同しただけなのだそうで、どちらでもいいとのことだ。

自主自尊の精神があるならば、まず、日米安全保障を前向きに見直し、少なくとも、日米地位協定を廃棄すべきである。

しかし、ネット世論は、日本で一番の問題であるはずの日米地位協定の存在すら知らないのである。

日中国交正常化時のやり取り


くどいようだが、戦後の米国の占領下となった際の論点は後に譲り、再度、1972年の日中国交正常化、1978年の日中平和友好条約時のやり取りに関して議論したい。

日本政府、外務省は、1972年の田中角栄首相方中時、周恩来から出た「棚上げ論」に関し、中国側の一方的な言及であり、田中角栄首相は了承していないとしている。

外務省の言い分は、公文書にはやり取りした記録として残ってはいるが、文書として残してはおらず、「棚上げ論」の取り決めはないと言うものだ。

いわゆる、暗黙の了解と言うものだが、非常に微妙な問題でもあり、一国の首相同士のやり取りである。無視し、無かったことにすることはいかがなものだろうか?

外務省は、何らかの対処をしなかったのは何故か?

帰国後、田中角栄首相への確認などをしなかったのだろうか?

ちなみに、後日、田中角栄首相から直接連絡を受けた野中広務氏は、田中首相は了承したとの説明を受けたとしている。

1978年、鄧小平氏が来日し講演した際には、この「棚上げ論」を再確認している。

当時の福田赳夫首相、園田外相、外務省は、ここでも無視したのであろう。
当然、国民にも一切説明はしていない。

緻密な外交が必要にも関わらず、こうした対処が日本への信頼性の喪失に繋がるわけだ。

中国にしても、米国にしても、日本政府の裏切りと映るのである。

胡耀邦を窮地に落とし入れた、中曽根康弘首相の靖国参拝も同様だ。
事前告知もない、全く配慮に欠けるものだ。

日本国民にとって、現在の自民党民主党に関わらず政府に対する信頼性はないが、1895年当時から、同様の状況と言って良いだろう。

身勝手でご都合主義、中途半端な対処が、今の日中問題を引き起こし、さらに、国民への事実や対処の説明もなく、中国に対し自ら動き、解決に向かう意思もない。

日本政府は、日本国民が享受すべき国益を常に喪失させ、国益をかざした空虚な戦略とやらで国民を混乱させ、議員でい続けるばかりである。